海のレシピ project

Saiki

ブリが来遊するリアス式海岸

[大分県 佐伯市]

2022.05.12 UP

食材の調理方法は身体にどのように影響するか。江戸時代に書かれた『本朝食鑑』に、日々の食事が健康を維持していくという「薬食同源」の考え方を読むことができる。歴史に学び、日本の食文化、食生活を見直すことも未来への行動の第一歩。

ものがたり

『本朝食鑑』(ほんちょうしょっかん)4

人見必大(ひとみ ひつだい)著 / 島田勇雄(しまだ いさお)訳注

『本朝食鑑』は、江戸時代初期に医師で食物研究家の人見必大が記した食物の本で、漢文で書かれた原本は全12巻におよぶ。東洋文庫には、その読み下し本があり、全5巻のうちの第4巻に魚介類が収録されている。

最初の項目は鯛。<我が国の鱗中(ぎょるい)の長である。形・色ともに愛すべきで、水中では紅鱗が光を動かし、美しい>とある。
ブリの項では、<鰤 音は師(し)。無利(ぶり)と訓(よ)む。>
という表記に始まり、鰤の小さいのを京では魬(はまち)といい、江戸では鰍(いなだ)ということ、形状の描写や生息域のほか、生より塩漬けや乾したものがよいとして、食の提案もしている。<[主治]気血を滋潤(うるお)し、人を肥健にする>とあるのは医師ゆえだろうか。

イワシについては、<我が国の禁裡・宮閨の児女は、鰯という賤名を忌んで御紫というが、塩糟漬の鰯の肉色が紫黒色であるところからそう名づけたのであろうか。然ども、紫は摂関藤原氏の服色であり、これを魚に名づけて憚らぬのは、その美味を賞するためであろうか。>とあり、当時の世相を垣間見るようで興味深い。食べ方には<甘塩にしたものや、糟漬にしたものや、塩麹漬にしたものがあり、塩麹漬は黒漬という>など、細かい説明が続く。

著者は、全項目において、伝聞をうのみにせず、自ら取材をし、吟味、検討した上で、記述したそうだ。民間の行事との関係に言及したり、医者の立場から、解説していると見受けられる文章も多々ある。これだけの大著をどんな人々が読み、使われてきたのかが気になるところ。

現代には、本書で出合った「塩麹漬」に想を得て、新たに商品を開発した人がいる。元禄2年(1689)創業「糀屋本店(大分県佐伯市)」の長女として生まれ、自らを“こうじ屋ウーマン”と名乗って、こうじ文化の普及と伝承に精力的な活動を続けている浅利妙峰さんだ。江戸時代からある塩麹を塩の代わりの調味料として使うことを考案した。浅利さんは、自身の著書で、<『本朝食鑑』は日本食に関する知恵の宝庫でした。麹が生活にとけ込み食の豊かさを支えていたこと、漬床として「塩麹」が使われていたことも知りました>と述べている。江戸時代の書物から受け継がれ、発酵の力で食材のうまみを引き立たせる糀の力を活かした塩糀は、今や万能調味料として、国内外で活躍している。

HAKKO レストランのイベント会場は、東京の常盤橋に位置する。江戸時代の常盤橋は、江戸城内と江戸の町内を結ぶ重要な通りに架けられた橋だ。全国各地から江戸城に献上する食材も多く運ばれ、文化的な交流があったとされる歴史的背景にも思いを深めたい。


※「こうじ」を表す漢字は2種類あります。糀と麹のちがいについて。糀屋本店のサイト参照。
https://kojiya.jp/kouji/糀と麹のちがい-2/

ものがたり情報

本朝食鑑4(東洋文庫378)平凡社
人見必大著
島田勇雄訳注

出版年:
1980年(初版)
今回参照の書影は2004年発行

参考資料:
糀屋本店の塩麹レシピ 浅利妙峰著 (PHP研究所)2011年)

撮影協力:
MY Shokudo Hall & Kitchen(TOKYO TORCH 常盤橋タワー3階)

写真:高村瑞穂