海の循環がもたらす未利用魚の価値
[長崎県 五島市]
2021.10.09 UP
日本の沿岸各地では、古くから大漁の祝い歌や船こぎ歌など、漁にまつわる民謡が歌い継がれている。長崎の『五島ハイヤ節』もその一つで、この歌には独特の踊りが加わる。航海の安全と大漁・豊作祈願とされているが、漁で夫を亡くした妻が気を紛らわすために浜辺で踊ったのが始まりだそう。海の豊かさと怖さを知る地元の人たちはたくましい。最近では、“ 未利用魚 ” とされる魚種に付加価値をつけ、新たな循環をつくりだしている。
ものがたり
西九州の海岸が発祥の地と伝えられるハイヤ節は、平戸や天草、鹿児島など、それぞれの土地で独自の歌詞や曲で構成され、受け継がれている。『五島ハイヤ節』は、五島列島最大の島である福江島、長手地区の民謡で、そのリズムの速さや曲の抑揚、軽妙なお囃子が特長だ。歌とともに継承されている踊りは、漁に出て遭難した夫を亡くした妻らが気を紛らわすために浜辺に集い、踊ったのが始まりといわれ、両手に小皿を 2 枚ずつ持ち、三味線や太鼓の演奏に合わせて、カスタネットのように小気味よい音でリズムを刻む。
長手は、半農半漁の集落。毎日の畑仕事や漁を終えてから、人々が集まり、歌い、踊り、楽器を奏でていた。五島ハイヤ節・長手民謡保存会の野端タケ子さんの母、野端チヨ子さん(95 歳)は、踊りを伝えてきたひとり。毎年 1 月に行われる敬老会に来賓として参加し、現在も踊り手の批評をしつつ後輩を指導している。
「誰がいつ始めたのかという記録はないのですが、私が物心つくころには、ばあちゃんたちが、自分たちの歌に合わせて小皿をもって踊っていたことは記憶にございます」とチヨ子さん。
昭和40(1965)年ごろになると、全国から五島にやってくる観光客が増え、屋内で客をもてなすために、地元の観光協会から長手独特の催しをしたいとの依頼を受け、現在引き継がれている形になった。一輪の大きな椿の花が印象的な衣装もチヨ子さんのアイデア。
「衣装も昔からのものですが、なにか趣向を凝らしたくて、私が前掛けのデザインをしました」(チヨ子さん)
チヨ子さんの踊りを子どものころからそばでみていたタケ子さんは見様見真似で覚え、数え年で20歳になるころから観客を前にして踊り始めた。元五島市議会議員の中村康弘さんの父、中村儀遠さんは一座の歌い手で、幅広い音域と張りのある声で聴衆を魅了したそうだ。いま、その歌声は、録音音源でしか聴くことができない。
「女ばかり6名のところに中村儀遠さんは男ひとり。とてもやさしい、思いやりのある人でした。『五島さのさ』は儀遠さんが歌い、『五島ハイヤ節』の歌い手は川口ミツさんでした」(チヨ子さん)
「私が踊り始めたころは歌い手も健在で、三味線や太鼓も演奏する人たちがいたのですが、今は、録音した音源にあわせて踊っています。踊り手は年配の人ばかり6人。(少し前までは)観光協会から依頼され、観光客の皆さんに向けて『五島ハイヤ節』をホテルや旅館でよく踊っていました。ほかの地域のハイヤ節とともに、長崎県の大会や福岡、東京にも呼ばれて踊りに行っていたんですよ」と、タケ子さん。
「五島の魚は長崎の人でもおいしいといって集まるところ。定置網でとれたブリ、イカ、マンボウ、アワビやサザエなど、豊富な海の幸で宴を催し、その席には歌い手もたくさんいたんです。世代がかわるなかで、郷土芸能を残していくことの大切さを感じています。ソノシートをつくったり、ラジオやテレビの放送で記録を残したり。『五島ハイヤ節』は長手地区のものだから、(継承するのも)長手の人にこだわってきたのですが、少し枠を広げて若い世代につなげていくことが僕らの今後の課題だと思っています。」(中村康弘さん)
100年続く敬老会で大切に演じられてきた『五島ハイヤ節』は、年配者を敬い、団結力が強い島の人々によって、踊り継がれている。
お話を伺ったひと:
野端タケ子さん 五島ハイヤ節・長手民謡保存会(郷土芸能・無形民俗文化財等保持団体)
野端チヨ子さん
中村康弘さん 福江飲料業防犯組合長、長崎県飲料業生衛組合理事、福江信用組合理事