海のレシピ project

Tsukiji

大海へ出て、故郷に戻る、鮭

[東京都 築地]

2021.12.12 UP

江戸時代から冬の贈答品とされてきた塩鮭は、絵師の長沢蘆雪(1754-1799)が墨絵で描き、葛飾北斎(1760-1849)が肉筆画帖に残している。北斎は明るい色彩で緻密に描かれているが、絵であることは一目瞭然だ。ところが、幕末明治期に高橋由一が油絵で描いた『鮭』は、質感があり、まるで本物みたい。日本の油彩の黎明期に思いをはせながら、鮭の未来を考えたい。

ものがたり

『鮭』

洋画家・高橋由一

近年、正月料理に使われる魚は、鰤(ブリ)、鯛(タイ)、鮭(サケ)が多く、都道府県別の喫食件数でみると、東日本のほとんどで鮭が食べられているようだ(※1)。これらは縁起物として贈られることも多い。食べるだけではなく、鑑賞用の鮭はどうだろう。縄でつるされた新巻鮭(塩鮭)がとてもリアルに描かれた油絵をどこかで見たことがある人も多いはず。国の重要文化財にも指定されている『鮭』の描かれた背景が知りたくて、所蔵されている東京藝術大学大学美術館教授の古田亮先生に話を伺った。

作者は高橋由一(1828-1894)。幕末から明治を生きた画家だ。この作品は、縦140.0 cm、横46.5 cmという縦長の大きさにも驚かされる。半身の腹部や骨、よれた皮の部分など、まさにリアルに描きこまれている。

「絵としておもしろく見せるために赤身の部分を描いたのだろうと思います。由一が一番やりたかったことは、油絵を普及すること。そのために、どうすればみんなが驚いてくれるかと考えたとき、食材が描く対象となり、それが食欲をそそることも必要だったのでしょう。新巻鮭は、今も贈答用であるように、当時もお祝い事、正月の物として、人気があり、注文に応じて描いたと考えられます」

そこに実物があるかのように思えてしまうほどリアルに描ける油絵の魅力。由一の描いた静物画には、豆腐や鯛、鰹節(なまり)もある。では、この『鮭』のサイズはどうか。

「油絵は当時の現代美術。どうすれば売れるかと探る中で、縦長で壁に掛けられるサイズの看板として、見る人に何だろうと思わせる、そんな役割がぴったりはまったんですね。この作品を店に飾ることで、商売繁盛、縁起がいいということも意味していたでしょう。」

この『鮭』の背景に描かれている物はなく、奥行きもわずかしかない。壁に掛かっているとだまし絵的に本物に見える。ここに本物があるように見せることができるということも知らしめたかったのだという。由一は、紙のほか、板地や絹地にも鮭を描いている。

師匠がいたわけではなく、イギリス人画家で横浜に居住していたチャールズ・ワーグマン(1832-1891)に1866年から3年ほど師事するが、ワーグマンは油彩技法は教えたが西洋画とは何かを教えたわけではない。

「見様見真似で自分でつくっていった。だから、どこにもない極めてユニークなスタイルができた。これを由一スタイルというならば、後にも先にもこのスタイルはない。西洋を探してもないのです」

武士の家に生まれ、幕末から明治という激動の時代を生き、刀を捨て、何かを生み出さなければいけないという使命感から西洋の油絵を普及することに尽力した。画塾を開いて指導も行っていたが、国が招へいしたイタリアの画家、アントニオ・フォンタネージ(1818-1882)が工部美術学校で指導すると、それが正統として迎えられていくと次第に居場所を失い、東京美術学校に黒田清輝が西洋画科を設立した明治29年には、すでに由一は他界していた。

「ルーヴルに日本の油絵を1点持って行くとしたら『鮭』。だれかに習って一生懸命描いても、その先生以上のものにはならないですよね。ヨーロッパの長い歴史がある中で、(『鮭』には)その流れとは違う強みが常にあります。過去を振り返るということが起きたときにいろんな意味で価値が見いだせるのです」

西洋の石版画に衝撃を受けた由一が、描いた荒巻鮭は、140年以上経つ今も圧倒的な存在感を放っている。


(※1)https://www.jfa.maff.go.jp/j/kikaku/wpaper/h30_h/trend/1/t1_3_4_2.html
水産庁調べによるコラムのデータ参照

参考資料:
『高橋由一 ――日本洋画の父』古田亮(中公新書/2012年発行)
『近代洋画の開拓者 高橋由一』公式図録(2012年発行)

お話を伺ったひと

古田 亮さん (東京藝術大学大学美術館教授)
1964年東京都生まれ。東京国立近代美術館主任研究官を経て、06年に東京藝術大学美術館助教授に就任、現在教授。専門は近代日本美術史。04年「琳派RIMPA」展、06年「揺らぐ近代」展、13年「夏目漱石の美術世界」展、21年「渡辺省亭」展など多くの企業展を担当する。著書に『俵屋宗達』 (平凡社新書)、『美術「心」論』(平凡社)、『視覚の日本美術史』(ミネルヴァ書房)、『特講 漱石の美術世界』(岩波書店)、『日本画とは何だったのか』(KADOKAWA)、『横山大観』(中公新書)など。

高橋 由一《鮭》
1877年頃(重要文化財)
東京藝術大学蔵

インフォメーション
東京藝術大学大学美術館
https://museum.geidai.ac.jp
〒110-8714 東京都台東区上野公園12-8
電話:050-5541-8600(ハローダイヤル)

※常設展示はありませんので、展覧会の開催会期以外は閉館しております。ご来館前にホームページでご確認ください。

※今後の展覧会予定(状況により変更することがございます。)

・藝大コレクション展2022 
会期:4月2日(土)~5月8日(日)※本展には《鮭》は展示されません。

・アートと新しいエコロジー
会期:5月28日(土) ~ 6月26日(日)

・美しさの新機軸 ―日本画・彫刻 過去から未来へ―
公益財団法人芳泉文化財団 第五回文化財保存学日本画・彫刻研究発表展
会期:6月4日(土)~6月12日(日)