海のレシピ project

Manazuru

ダイバーを魅了する、“お林”が見守るまち

[神奈川県 真鶴町]

2023.01.19 UP

東京から1時間と少しで到着する神奈川県の真鶴町。この町に拠点を置く岡本美鈴さんは世界大会での優勝経験も多数の日本を代表するフリーダイビングの選手だ。30歳の時、小笠原のイルカと泳ぎたいという一心でカナヅチを克服し、この真鶴でダイビングを学んだ。海洋保全のPR活動を行う「Marin Action」の代表も務める岡本さんに会いに出かけた。

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海への想いを形に ― フリーダイバーだからできること

プロフリーダイバー 岡本美鈴さん

「まずは琴ヶ浜に行ってみましょうか」
朝8時半、真鶴駅に到着した私たちを車で出迎えてくれたプロフリーダイバーの岡本美鈴さんの案内で、道すがら通りすぎる干物屋さんやご飯屋さんなどの情報などを教えてもらいながら、岡本さんお勧めの場所に向かった。

東京フリーダイビング倶楽部に2002年に入会したことがきっかけでその拠点となる真鶴へ通い始めることになった岡本さんは、千葉県佐倉市との2拠点生活を経て2015年からこの真鶴町に住んでいる。

「最初は駅と海の往復だけで何も知らなかったんですよ。10年くらいたってからですね。真鶴のことを知るようになったのは」

途中で真鶴港に立ち寄り、10分ほどで琴ヶ浜に到着。高台の駐車場で海を眺めながら、真鶴の魅力や現在の活動についてお話を伺った。琴ヶ浜は岡本さんが真鶴で好きな場所のひとつ。ゴツゴツとした岩の浜があり、右手には「魚付き保安林」と呼ばれる森が見える。

この保安林は約350年前の江戸時代中期にクロマツを植樹してから始まった森で、樹影を海に落とすことで魚の棲み処を作るなど魚を寄せる効果があるとされている。地域の人たちが「お林」と呼んで大切にしてきた森だ。岡本さんも大好きな場所で、ダイビングスクールの生徒さんなどと一緒によく訪れ、遊歩道を散歩するという。

樹齢300年のクロマツや周囲7mのクスノキの大木もあり爽やかな森林の香りが漂う。

琴ヶ浜の海を眺めていると、打ち寄せる波の透明度の高さに気づく。

「きれいでしょう。11、12月くらいからだんだん青くクリアになってきて、海の中で季節が変わってきたことを感じるんです。この時期が一番、魚の群れが多いんですよ。もうずっと、イワシやキビナゴの紙吹雪をまとっているような感じ。洗濯機の中にいるみたい。命の数と、躍動がすごいんです」

フリーダイビングは呼吸するための装置を持たずに水中に入る、いわば「素潜り」の競技だ。海の種目では垂直に垂らしたロープに添って潜り、その深さを競う。
トレーニングでは潜るための深場が必要だが、真鶴の海は船で5~10分、数百メートル沖に出るだけで水深が急に深くなる最適な地形なのだという。また呼吸を整えてリラックスして潜る競技のため、なるべく水面は静かな方がいい。真鶴半島なら南風が吹くときは小田原側の海で、北風が吹くときは熱海側の海で練習できるという点もメリットのひとつ。

「全国の海を周りましたが、真鶴ほどフリーダイビングに適していると思った場所はなかったです。もちろんいいスポットは他にもありますが、これだけ駅から海が近くて、ボートで5分も行けば深く潜れるという好条件はあまりない。都心に住んでいる私のスクールの生徒さんもフィンを持って電車で来ればすぐに潜れるので『駅近の深海』って呼んでいるんですよ。それにこの場所は琴ヶ浜ダイビングの歴史がある場所。私はフリーダイビングですがスキューバダイビングの発祥の地なんです」

年に1~2度、海外での大きな大会に遠征している。世界選手権ではフランスやキプロス、ギリシャ、イタリア、エジプト、ホンジュラスのロアタン島などの海にも潜った。2021年には毎年バハマで開催されている「Vertical Blue (バーティカル・ブルー)」で念願の自己ベスト100mを記録。当時、女性では世界で13人目となる快挙を成し遂げた。

「一緒に潜ってくれるセーフティーダイバーの方たちが大会会期中『絶対いけるよ!』とずっと声をかけてくれていたんです。100mは“憧れ”と思っていたのですが、周りの人たちに背中を押してもらってリアルな目の前のドアに変わりました。夢だった100mにのびのびと気負わずチャレンジできて、成功できた。こんなに嬉しいことはなかったですね。これも、真鶴に長年拠点を置かせてもらったおかげです」

岡本さんは選手のほかにも、2010年に「Marin Action」というフリーダイバーによる海洋保全PRを行う団体を立ち上げて活動を行っている。真鶴の海に潜り続けた20年間。何か感じている海の中の変化はあるだろうか。

「昔は自分の視野が狭くて気づかなかっただけかもしれませんが、ゴミが増えましたね。プラスチックゴミや拾うに拾えないような細かいマイクロプラスチックゴミも見かけるようになりました。それに海の中の海藻が少なくなりました。20年前は海藻が森のようにあり、水中を歩くと酔ってしまいそうになるくらいでしたが今はないです。長期的な水温の上昇もあり海藻が少なくなっているところに、数年前大きな台風が来てさらにダメージを受けたと聞きました」

毎月第1土曜日は「マリンアクションの日」として、クリーンアップイベントを行っている。葉山や江の島など海岸に集まってゴミを拾う場合もあれば、オンラインで開催することも。オンラインの場合はその日、その時に身近な場所でそれぞれがゴミを拾い、終了後に気づいたことを話しあう。参加は海に限らず、どこからでもOK。海のゴミの7~8割は、街から川に出て流れ込んだものとも言われている。

2022年11月6日に開催された「葉山サンセットビーチクリーン」の様子(提供:Marine Action)

「海が見えない街に住んでいる人にも海を想ってもらえるようになったら、ダメージが減らせるはず。一世帯でも、海に想いを馳せる家が増えたらいい。海のことを考えて、街からきれいにしよう、川からきれいにしようと思う時代が来てくれたらいいなと思います」

「Vertical Blue」でも大会が始まる前に必ず選手たちがクリーンナップをする。ある年にはポケットティッシュほどのサイズの固いビニールのようなものがたくさんビーチに流れ込み、暑い中、みんなでトラック2台分を拾ったが、その翌日にはまた大量に流れ着き、危機感やむなしさを感じたと言う。

「地球の大きなことは変えられないかもしれない。本当に非力で、影響は小さいかも知れないけれど、まずは一人一人が身近な人に伝えていくということに意味がある。スポーツとして記録を出すのは本当に面白いし、素晴らしいこと。でもそれだけだったら何か足りない。フィールドといかに共存していくかというのも、競技活動のひとつとして捉えて行きたい。それが『Marin Action』を始めたきっかけでした」

立ち上げ当初はひとりだったが、現在は同じ思いを持つフリーダイバーが2名加わり、活動を共にしている。いまはSNSで誰もが発信できるようになり、潜ることと海のこと両方を考えるフリーダイバーも増え、いろんな人達が声を掛け合って流れが変わってきたのを感じている。

「本当に一人一人がちゃんと問題として捉えている。みんなが自分ごととして考えるようになりましたね」

フリーダイビングの選手として100mという夢を叶えた今、岡本さんはこれからどのような活動を行っていくのだろうか。

「自分が行けるところをもう少し覗いてみたい。まだ進化できる気がするし、どういう世界が広がっているのか体験してみたいですね。そして私は次世代へバトンを渡していく立ち位置でもあるので、選手や指導者を目指す人たちのお手伝いもしていきたいです。それは真鶴に限らず、どこにでも行こうと思っています」

真鶴については「まさかこんなに腰を据えることになるなんて全く想像してなかったんです」と話すが、現在は真鶴町観光大使も務めている。

「今でも新しい出会いや発見、面白いこと、感動すること、考えさせられることがいっぱいあってドラマのような日々。真鶴の営みをもっともっと味わってみたいし、それを多くの方に伝えていきたい。大好きなお林の歴史や、スキューバダイビング発祥の地といわれる人と海との関わりの歴史も知りたい。知った上で見る風景はまた違うと思うんです」

真鶴岬に向かう途中にある「山の神社」魚付き保安林の守り神として、漁師たちが海上安全と大漁祈願をしてきた。

「真鶴には男性の素潜りの海士さんがいてすごくかっこいいんです。私が20年前に来たときは、80代くらいの海女さんもいらっしゃいました。潜って上がって、火を焚いて、暖を取っているのを見たことがあって。そんな昔あった風景も、もっともっと知りたい」

真鶴や競技、海への想いと溢れる好奇心を通して、フリーダイバーだからこそできることを、岡本さんは探し続けている。

お話を伺ったひと

岡本美鈴さん
1973年東京都出身。プロフリーダイバー。プールナ フリーダイビング スクール代表。人魚JAPAN理事。
26歳のとき、テレビで偶然見た小笠原の海に魅せられる。イルカと泳ぐことを夢見たが当時はカナヅチ。地下鉄サリン事件に遭遇した後、30歳でフリーダイビングを始める。持ち前の探究心で次々に記録を伸ばし、2006年には日本記録を樹立。2015年の世界選手権で日本人初となる個人戦金メダリストとなる。世界最高峰のフリーダイビング大会「Vertical Blue2021」のコンスタントウェイト ウィズフィン(CWT)の競技にて100mを達成した。著書に『平常心のレッスン。』(旬報社)がある。神奈川県真鶴町観光大使。
https://mimidive.com/

文:安藤菜穂子
写真:高村瑞穂