海のレシピ project

Kisarazu

潮干狩りで見つけたハマグリの秘密

[千葉県 木更津市]

2021.10.02 UP

子どもの頃に読んだ絵本は、大人になっても深く記憶に刻まれているものだ。自分と同じ頃の子が体験している冒険は、まるで自分がその場にいるかのような興奮を味わわせてくれる。『海べのあさ』で描かれる主人公サリーの一日が、海の近くに住むことの楽しさ、身近な生き物たちや潮干狩りで取れるハマグリとの付き合い方などたくさんのことを教えてくれる。もう忘れてしまった子どもの頃のなにげない記憶を、サリーはいつでも呼び起こす。

トピックス

きらきらひかる、干潟とハマグリの関係

中村泰男さん(理学博士)

春から夏にかけての風物詩、潮干狩り。干潟で砂を掘ってみると、アサリはもちろん、ハマグリが獲れることもある。関東地方の貝塚(縄文人のゴミ捨て場)では、ハマグリの殻がアサリよりも多く出土することから、ハマグリは縄文人の好物でもあったらしい。ハマグリ(本名 Meretrix lusoria)は有明海・伊勢湾・東京湾など、日本の砂っぽい干潟に生息していたが、干拓などの影響で激減してしまった。現在私たちがスーパーで手にする「ハマグリ」(商品名)の多くは、中国から輸入された “シナハマグリ”(Meretrix petechialis)で、日本に昔から棲息する本物の”ハマグリ”とは、近縁ではあるが別種である。激減した本物のハマグリを日本の干潟に復活させたいと願う、国立環境研究所・海洋環境研究室・元室長の中村泰男さんに、干潟とハマグリの関係について伺った。

そもそも干潟とは、満潮時には水面下にあり、潮が引くと柔らかい砂や泥が顔を出す場所のことをいう。環境省によると、「干出幅100m以上、干出面積が1ha 以上、移動しやすい基底(砂、礫、砂泥、泥)」を満たしたものが干潟とされている。

「ハマグリやアサリは縄文人や我々にとっておいしい食材ですが、同時に、海の浄化に役立っています。彼らは入水管を通じて海水を体内に引き入れ、植物プランクトン粒子などの濁りを体内で漉しとり、餌として利用しています。一方、粒子が漉しとられた後の水は、澄んだ水として出水管から体外に出ていきます。つまり、干潟上に棲息する貝の集団は、食材となると同時に『大量の濁った海水を体内に取り込み、澄んだ海水に戻す』という海水浄化も行っているのです」 

高度経済成長が始まった1960年頃から、水質悪化の進行とともに東京湾のハマグリ漁獲量は激減した。一方、当時アサリは多量に獲れていた。このことは、ハマグリは環境の悪化に弱いということを想像させる。中村さんは、「ハマグリの死滅と環境の関係を知ることで、ハマグリ復活のための目安が得られるのでは?」と考え、汚染の進んでいる京浜運河(品川区)の大井干潟で、ハマグリ(有明海産)とアサリの飼育実験を行った。ところが、その結果は意外なものだった。

「晩夏から初秋にかけ大井干潟は35℃を超える高水温・低塩分・低酸素海水にさらされます。こうした中、アサリは死滅したのですが、ハマグリは殆ど死にませんでした。しかもハマグリの成長は著しく、例えば、7月に干潟に投入した殻サイズ16ミリ(一円玉より小さい)の個体は1年3か月後に56ミリ(市場に出せば高く売れる)に達しました。となると、丈夫で成長の早いハマグリが、なぜ東京湾で激減したのでしょうか?ハマグリは年に一度、晩夏から初秋にかけて産卵・受精します。孵化した幼生は、数週間水中を浮遊したのち干潟に着底し、砂の中で成長を始めます。この時期は、酸素を殆ど含まない海水(貧酸素水)が干潟周辺に押し寄せやすい時期に当たっているので、貧酸素水による産卵阻害・幼生の死滅が個体数の激減を招いたのではないでしょうか。貧酸素水がハマグリ産卵や幼生の生存に及ぼす影響をきちんと調べることが重要ではないでしょうか」

ところでハマグリは時として、透明でとても粘っこい「ネバ」を水中に発射する。ネバは貝の身とつながっているので、流れの中で貝の帆として働き、貝本体を砂の上でズルズルと移動させる。古代中国(史記の時代)ではハマグリのネバが、大気現象である「蜃気楼」の原因と考えられていた(=ハマグリ(蜃)が吐いた息(気:ネバ)の中に楼閣が出現する。では何のためにハマグリはネバを発射して干潟を移動するのだろうか?中村さんはネバの発射条件を実験室で調べた。

「ネバはハマグリが悪い環境に遭遇した際の緊急脱出装置として働いているのではないかと、私を含め多くの人が考えていました。ところが調べてみると、ハマグリは光の明暗(昼と夜)、干出後の冠水(潮の満ち引き)、弱い水流(潮汐流)といった、彼らが日頃干潟上で経験する刺激の組み合わせでネバを発射することがわかってきました。ネバによる移動は危険も伴うだけに、なぜ単純な刺激でわざわざ干潟上を移動するのか、本当の理由はわかりません。ただ、ハマグリは干潟に隣接する川の近くに集中して着底することが他の研究者によって指摘されています。この場所は、時として洪水に出くわし、大量の泥が積もります。もし移動せずにじっとしている場合、一家全滅の危機にさらされるので、あらかじめ干潟全体に分散し、リスクも分散させることで、長い目で見れば自分の子孫をより多く残すようにしているのかもしれません」

ハマグリは結構奥が深いようだ。
日本古来のハマグリを復活させたいという思いを胸に、中村さんはこれからも干潟の観察を続けていく。

インフォメーション

●盤洲干潟(ばんすひがた)(千葉県木更津)
千葉県の中西部を流れる小櫃川河口から東京湾に広がる国内最大級の干潟。自然に形成された盤洲干潟は、約43ヘクタールの湿地となっている河口三角州と、約1400ヘクタールの前浜干潟で構成されている。河川(淡水)と海の水(塩水)が混じり合う河口付近には、カニ等のたくさんの生き物の姿が見られ、撮影当日は、近くの幼稚園に通う園児たちが干潟の観察に訪れていた。

お話を伺ったひと

中村泰男さん(理学博士)
1952年生まれ。海なし県埼玉の浦和で育つ。1979年東大大学院博士課程(理学系化学)中退。同年、国立公害研究所(現国立環境研究所)海洋環境研究室に採用される。赤潮の発生機構などを研究していたが、2006年よりハマグリに興味を持ち研究開始。2013年研究所退職。現在、中央大学大学院で(プータローとの)兼任講師。子供のころ好きだったもの:阪神・柏戸・チキンラーメン。

写真:高村瑞穂