海が育む結晶・塩の世界
[石川県 輪島市]
2024.03.26 UP
人間の身体の約70%を水分が占めるように、地球に対する海の割合も同等のもの。そんな海が育むもののひとつが「塩」だ。海塩を製造する国は、世界的に見ても実はめずらしいという。今回は「低温結晶」の技術を確立して作られる、輪島の海塩を使ったシンプルな料理をはじめ、震災後も輪島朝市の灯をともし続ける人たちを紹介する。絵本「あさいち」が記憶にとどめる風景が、ふたたび目の前に広がる日を願って。
トピックス
海はしょっぱい。
初めて海に入ったときに感じた強い塩味には、誰もが驚いた記憶があるのではないだろうか。そして子どものような問いだが、そもそも「海はなぜしょっぱいのか?」をあらためて調べてみた。
地球が誕生した約46億年前、地表はマグマで覆われており高温状態で、水は水蒸気として存在していた。その後時間をかけながら温度も下がり、空気中の水蒸気は雨となって降り続く。この頃の大気には塩素ガスが含まれていたため、降るのは塩素の雨。その塩素を含んだ水が大地にたまった。そしてさらに長い長い年月をかけ、岩石に含まれるナトリウムがため池へと流れ込むことで塩素と結びつき、塩化ナトリウム(NaCl)を含んだ海ができたという説がひとつ。
もうひとつが、陸地から海へ流れ出た塩素やナトリウムを含む海水が太陽に照らされ、水分だけが蒸発し、それが何億年も繰り返されるなかで塩分濃度が徐々に高まったという説。地球に陸ができたのが約27憶年前とのことで、近年はこのふたつの説によって「海がしょっぱい」理由とされているそう。
さて、その「しょっぱい」の元である塩。世界では広く岩塩が“ある”ため、海水から“作る”国はそう多くない。ただ日本では製塩所も多数あるなか「塩」を記事で扱うには、どのタイミングが適しているのか、海のレシピprojectスタート当初から実は考え続けていたのだった。そんななか、石川県の輪島に「絶品の塩があり、その製塩士がもの凄い」との情報を得た私たちは、金沢市へと向かった。
待ち合わせの金石(かないわ)港で、真っ赤なジャケットにサングラスといういで立ちで迎えてくれたのは、「わじまの海塩」で知られる中道肇さん。優しい口調で語られるのは、見た目以上の豪快かつ魅惑的なエピソードの数々だ。
漁師と海女の両親のもとに輪島市で生まれ、幼いころから海は馴染みの環境。小学生の頃には、“悪さ”をして輪島市の北方約20kmにある七つ島(ななつじま)へ友人とふたりで島流しにあいながら(船の行き来はあるので生存確認はされたらしい)、魚を獲ったりして自給自足の生活をしたそう。
「だんだん服もいらなくなって、ほぼ裸で過ごしたりね。でもやっぱり帰りたくなるから船にこそっと隠れるんだけど、乗っているのがバレてまた戻されたりして(笑)」
そんな中道少年は絵や彫刻が得意で、その腕もかなりのものだった。芸術家を目指し、美術大学の授業料が免除となる推薦も受けられる寸前だったが、家庭の事情から諦めざるを得なかったという苦い思い出もあった。
「で、もういいやとなって勝手に函館に行ったわけです。中型の船があったから“乗せてくれー!”と言ったら、一人欠員が出たからいいぞと。そしたらその船が遠洋(漁業)で、気づいたらニュージーランドだったんだ。船には青森、岩手、沖縄まであちこちから乗っているからみんな言葉が違うし、なんかおもしろい世界だなとは思ったな」
しかし、寄港するたびに徐々に脱落する船員たち。危険をはらむ遠洋漁業のすさまじさは経験者にしかわからないが、中道さんは持ち前の精神力で耐え抜き、その後もシベリア、アラスカなどさまざまな地へ出向くことになる。立派な稼ぎにもなり、十代で相当の額を実家へ収めることもできたそうだ。23歳での結婚を機に船を降り、その後は建設会社に入って、船に乗りながら取得した重機や電気などさまざまな資格を活かして、港湾土木や公園建設等の仕事に従事した。そして約12年が経過したころに「なかみち屋」を設立する。
なにかに取り組む際には必ず“入り方”があるという中道さん。干物の製造時にはまず、外的となるハエの習性の研究から始まった。干物に卵を産むハエの種類、その時間、何時間で孵化するのか、どんな干物が好物なのか、天気や湿度でどうなるのかなど生態を一年ほど観察した。そんな実験を経た天然乾燥の干物づくりの先に乾燥機(機械化)への変化もあって、ここでは何を行えば効率よく乾燥させられるかを研究。科学的な視点から、おいしく、より量産できる干物づくりに辿りつくのだが「実験をやっているときは“これはおもしろいぞ~”と思うんだけど、すべて解ったらおもしろくなくなっちゃう」(中道さん)のだそう。かつて船上で、獲れたての魚を風で乾燥させて食べた干物のおいしさの記憶もあり、日本海産でのおいしい干物づくりを進めるにあたって目を付けたのが、塩だった。
「塩が肝心だと思ってやり始めたら、“こりゃ塩のほうが難しいぞ”と。天然の塩っていうのがまた難しいんだ。“俺、干物やってる場合じゃないぞ”となったわけです。魚のことは解っちゃったから」
それから20年。「なぜ?」という好奇心から、中道さんはいまも塩づくりを続けている。それほど塩は中道さんにとって“解らないもの”なのだ。
「わじまの海塩」は、釜炊きや揚げ浜式の方法とはまったく異なっている。試行錯誤しながらも350度にもなる特注ライトによる“太陽”と扇風機による“風”でさざ波をつくり、疑似的な自然環境を室内で再現する製塩方法(低温結晶)を確立した。煙も二酸化炭素も出さず、人体や環境への負荷もない。
ただどうやら塩たちは、人の“気”や“気配”を敏感に感じ取っているようで、毎日変わらない環境で作業をしているにも関わらず、中道さんが翌日留守にすると告げると、拗ねたように収量が減ることがあったり、結晶がピラミッド型や正方形など思わぬ形に変化することもあるのだという。
写真提供:株式会社 美味と健康
「“作ってやろう”と思ってやるとできないんですよ。とにかく、海水というのは得体の知れない液体だということ。地球上のすべての鉱物(元素)が入っているから。最後に槽の底に残った“にがり”の結晶なんて、クリスタルですよ」
塩分濃度をとっても、輪島市近海よりも舳倉島周辺のほうが0.数パーセントだけ高く、その少しの差で塩の収量が数キロも変わるそう。また夏よりも冬の海のほうが不純物が少ないため、塩の出来高が上がる。
「その出来高を教えてくれるのがヤドカリさんなんです。磯辺でちょこちょこ動いているときはプランクトンとかを食べていて、じっとしている時っていうのは不純物が少ないということ。だからヤツらは大事な目安。自然の姿を見ながらやっているから、“いつでもいいや”ではないんですよ」
精緻なセンサーを持ち合わせつつダイナミックなお人柄に惚れ込む人も多く、10年以上前、中道さんの製塩所やその背景を取材した岡田真紀さんもその一人。冒頭で「もの凄い製塩士がいる」と教えてくれた当人だ。
「取材をさせてもらってわかったのは、人間がなんでもコントロールしてできるものではないし、塩ってある種神々しいもの。ちょっとオカルト的な体験を僕自身もしたけれど、それがなんだか興味深いなと思っていますね」(岡田さん)
そんなふうに塩と会話する中道さんの日々は、2024年の元日に起きた能登半島地震で一変する。輪島市も大きな被害に合い、海面の隆起によって舳倉島の製塩所へは現在も辿り着けず、状況の把握はできていない。それでも、なんとかくみ上げられる場所からの海水を使い、細々ながら塩づくりを再開させた。
中道さんの塩を守り広める役を担いたいと、2009年に会社を立ち上げて中道さんの塩の工場を作り、販売を手掛け、2016年に東京から輪島市へ単身移住した橋本三奈子さんも、震災後に中道さんがはじめて手をかけた塩の状態を見るまでは心が落ち着かなかった。
「やっぱり最初は不安でした。輪島の絶望的な風景を見ながら、これは弱々しい塩ができるかもしれない…と。そうなると復帰はなかなか難しいなと思っていたんです。そしたら、今までで一番ゴツゴツした“気力万全”な塩の結晶ができていて。中道さんの“気”ですよね(笑)。力強いものができていたから、じゃあこのあとは調整していけばいいな、という思いになりました」(橋本さん)
まるで、海水から塩を取り出す錬金術師のような神秘さすら感じるほどの、塩士としての在り方。その心根には、ただただ自然をありのまま受け止め、観察する姿勢がある。大きなうねりも自然のことと、中道さんは今日もキラキラ光る結晶たちと会話している。
参考:
第5管区海上保安本部
JAMSTEC BASE
WONDER SCHOOL
ダ・ヴィンチWeb
文・村田麻実
写真・Kim Ahlum
お話を伺ったひと
右:中道肇さん(製塩士)
左:岡田真紀さん(人と人をつなぐ場づくりプロデューサー)
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イベント「海と私のものがたり」
海のレシピprojectが主催するイベント会期の3月30日(土)に、震災後も石川県・輪島を拠点にする中道肇氏をオンラインで迎え「わじまの海塩」が持つ特長について、また製塩の背景や想いを伺うトークセッションを行います。10年以上に渡って中道さんの塩に魅了されてきた金沢出身のプロデューサー・岡田真紀氏にも、自身のルーツである珠洲の海の風景を手繰り寄せながら、現在の輪島の状況や震災復興に向けた取り組みについても伺うチャリティー企画です。また、Recipeページでおなじみの大黒谷寿恵さんによる「わじまの海塩」を使った塩のおむすびなども提供・販売。そのほか取材で見つけた美味しい海の食材や、本の販売もあります!ぜひ足をお運びください。
▶「海と私のものがたり」開催概要
※各イベントの参加費の一部は「『出張輪島朝市』金石プロジェクト/輪島朝市を応援する会」の活動資金として寄付いたします。
▶「製塩士に聞く、輪島の塩の魅力と輪島のいま」
参加費:1500円(税込)
中道さんの塩のおむすび、海藻カジメと酒粕のお味噌汁付き
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出張輪島朝市 in 金石
石川県金沢市金石港で、石川県漁業協同組合 金沢支所と加賀建設株式会社協力のもと、「出張輪島朝市」金石プロジェクトによる「出張輪島朝市 in 金石」がスタート(3/23初開催)。金沢市内に避難をしている朝市の有志によって活動がおこなわれており、不定期開催を企画している。
出張輪島朝市の会場となる金石港と仕込みを行う加工場
「輪島は何年かかって復興するかわからないけど、それまで輪島朝市の名前は残したいし、少しでもみなさんに知ってもらいたい。だから今は一生懸命頑張るしかないな、と思っています」と話してくれたのは、金沢市へ一時避難中の輪島朝市組合理事長・二木洋子さん。
橋本三奈子さんは「輪島朝市を応援する会」発起人のひとりで、「出張輪島朝市」金石プロジェクト実行委員会の事務局も務める。「これまで毎日だったから、週一回のペースに慣れないといけないけれど、毎日包丁にぎっていた人たちが1年も休んでしまったら、“もう辞めた”という気持ちになってしまう。こうやって早々に動けるのはすごいこと」と語ってくれた。
「輪島朝市の灯を消さないように」と前を向いた女性たちが、金石港での新たな一歩を踏み出している。
出張輪島朝市 in 金石
開催日時:8:00〜お昼過ぎ(3月23日以降の開催日時はご確認ください)
会 場:石川県漁業協同組合 金沢支所、加賀建設株式会社
住 所:金沢市金石西1ー2ー8
入場料:無料
お話を伺ったひと
右:二木洋子さん(輪島朝市組合理事長)
左:橋本三奈子さん(輪島朝市を応援する会/金石プロジェクト実行委員会)