謎めく神秘的な“春の風物詩”を追って
[富山県 魚津市]
2023.04.25 UP
闇夜でほのかに青く光り、春の風物詩と称される風景を作り出すこともある“富山の神秘”はなぜ私たちを魅了するのか?魚津へ向かって学んだのは、まじまじと観察することでわかる姿かたちと、求めるほどわからない生態だった。「レシピ」ではそのホタルイカと春野菜を使ったナムルを、「ものがたり」では人生を豊かにしていく「食」にまつわる映画『川っぺりムコリッタ』を紹介する。
ものがたり
ある事情を抱え、ひとり街へとやって来た主人公の山田。働き口となった塩辛工場の社長の伝手で入居することになったのが「ハイツムコリッタ」である。
初対面で図々しくも“お風呂を貸してほしい”と言い寄る隣人・島田との半ば強引に始まる出会いがありつつも、ここで山田はただただひっそりと暮らそうとするのだった。
原作と脚本も手掛けた荻上直子監督は、主人公がイカの塩辛工場で働いているという設定を製作当初から思い描いていたという。塩辛の生産量の多さと、イカ墨を使った真っ黒な「黒作り」の郷土食があることを知って富山県を撮影地に選んだそう。ロケ場所となった蛯米水産加工は明治中期創業の老舗で、ホタルイカの沖漬けやイカの黒作りも看板商品。撮影にあたって技術指導も行ったそうだ。
能登半島の付け根部分にくぼみのように位置する富山湾には、魚津から氷見にかけて早月川、常願寺川、神通川など5つの川が流れ込んでいる。この海へとつながる川沿いを舞台に物語は展開する。
初めての給料日を前に、いよいよ空腹で何のやる気も起こらず畳の上で転がる山田を見つける島田。
「これ、庭で採れた野菜。置いとくよ」
画面に赤と緑が差し込まれ、起き上がった山田が無心できゅうりを頬張るシーンから物語が色づき始める。
野菜の収穫を手伝わせたり、家主より先にお風呂に入ったり、自前の食器を持ち込んで勝手にご飯を食べる島田のペースに巻き込まれながらも、お互いを知っていくふたり。
アパートの大家・南、息子と墓石のセールスで街を歩き回る溝口など、陰をはらみつつもユーモラスな住人たちとの交流から、山田の口数も少しずつ増えていくのだった。
「ご飯ってさ、ひとりで食べるより誰かと食べたほうが美味しいのよ」
登場人物たちは食卓を囲み、会話し、箸を動かす。
食事シーンは長回しで、流れるようなその一段落が心地良い。
食べることで“生”を認識していく展開の一方で、山田の父の遺骨や、見えるはずのない住人など、“死”に関してさまざまな捉え方が描写されていることも心に残る。
タイトルの“ムコリッタ(牟呼栗多)”は、仏教の経典にある時間の単位のひとつだそうだ。1日(24時間)の1/30、つまり48分を意味する言葉だが、荻上監督は昼から夜に変わる時間や生と死の間の時間のような、区切りのない延長上にある“境目”を表現できるのでは、という感覚から採用したという。
川の流れつく先に海がある。
ふと、富山湾の河口の砂地が形作る境界の曖昧さと、“ムコリッタ”の世界観が重なったように見えた。この映画にはこちら側とあちら側をつなぐ、境目のない時間が流れている。
文:村田麻実
写真:高村瑞穂
ものがたり情報
北陸の小さな街に無一文に近い状態でやってきた山田のささやかな楽しみは、風呂上がりの良く冷えた牛乳と、炊き立ての白いごはん。できるだけ人と関わらずひっそりと生きたいと思っていたが、温かいアパートの住人たちに囲まれて、山田の心は少しずつほぐされていく―。
すき焼き、イカの塩辛、採れたての野菜、お味噌汁。日本中でブームとなった映画『かもめ食堂』の荻上直子監督が、「おいしい食」と共にある「ささやかなシアワセ」の瞬間をユーモアいっぱいに描く作品。
『川っぺりムコリッタ』
監督・脚本:荻上直子 音楽:パスカルズ
原作:荻上直子「川っぺりムコリッタ」(講談社文庫)
キャスト:松山ケンイチ ムロツヨシ 満島ひかり 吉岡秀隆 ほか
製作:2021年
Blu-rayスタンダード・エディション 5,170円
Blu-rayスペシャル・エディション 7,480円
DVDスタンダード・エディション 4,180円
発売:カルチュア・パブリッシャーズ
販売:KADOKAWA