海のレシピ project

Toba

海のなかを心身で体感する海女の声

[三重県 鳥羽市]

2023.03.24 UP

海女漁は日本各地の沿岸で続いているが、なかでも志摩半島は歴史が古く、現在もっとも海女が多い地域だ。伊勢湾に浮かぶ島を舞台に三島由紀夫は『潮騒』を執筆。たびたび映画化もされ、そのイメージが描かれた。 そんな海女たちの“現在”を追って、鳥羽へ。体ひとつで潜り、厳格なルールのもと獲物を獲る漁法は資源管理に適しているのはもちろんだが、根底に流れるものは畏敬の念をもって向き合う姿勢だった。

ものがたり

『潮騒』

三島由紀夫

昭和26年から27年にかけて、三島由紀夫は世界旅行に出かけている。26歳のときだ。ハワイやニューヨーク、ブラジルなどを巡ったが、なかでもギリシャは三島にとって憧れの地。旅の様子を綴った紀行文集『アポロの杯』を開いても「私は無常の幸に酔っている」「筆が躍るのを恕(ゆる)してもらいたい」と残しており、すっかり浮き足立った様子がうかがえる。古代ギリシャ時代の恋愛物語『ダフニスとクロエ』を下敷きに小説を書くことを思いついたのもこの時であった。

エーゲ海に浮かぶレスボス島で繰り広げられる恋模様を、どこに置き換えようか。いくつか候補があったなかで、三島が気に入ったのは鳥羽湾に浮かぶ「神島」。ギリシャで見た景観に似ていたのだろうか。神が支配する島だといわれる神島に、神話と通じるところを感じ取ったのかもしれない。川端康成への手紙に、こんなことを書いている。「神島という一孤島に来ております。映画館もパチンコ屋も呑み屋も、喫茶店も、すべて『よごれた』ものはなにもありません。この僕まで浄化されて…。ここには本当の人間の生活がありそうです」(『三島由紀夫書簡集』)。

羊飼いと山羊飼いに拾われ育てられた、捨て子の男女による牧歌的な純愛物語『ダフニスとクロエ』。一方『潮騒』でも、若さほとばしる純朴な漁夫と海女が困難を乗り越え、恋の何たるかを知っていく。ピュアな初恋を描こうとした思惑は、新治と初江というふたりの名前からも伝わってくる。

作中、新治が神島について語るくだりがある。

「島の暮しはどこよりも平和で、どこよりも仕合せになることに、力を協せるつもりでいるんや。そうせんと島のことを、誰も思い出さなくなるによってなぁ。どんな時世になっても、あんまり悪い習慣は、この島まで来んうちに消えてしまう。海がなア、島に要るまっすぐな善えもんだけを送ってよこし、島に残っとるまっすぐな善えもんを護ってくれるんや」

終局を迎える場面では、燈台に昇って夜の海をともに眺める二人の姿が印象的である。それは「善えもん」を護ってくれた海という神父の前で契りを交わす、結婚式のようにも読める。恋に落ち、悩み、結ばれるという普遍的テーマをもつ古典が時代も場所も超えて鮮やかに蘇る。三島らしくないとも評されるほどに爽やかな一冊だ。


文:峰 典子
写真:高村瑞穂

ものがたり情報

『潮騒』(新潮文庫)
新装版:2020年(文庫初版:1955年)