かき船文化の記憶を探して
[大阪府 大阪市]
2023.05.28 UP
『抄本 おむすびの味』(1954年/創元社)で知られる大阪出身の随筆家・岡部伊都子が、日常の手料理と自身の思い出を軽快な言葉で紡いだ『伊都子の食卓』。当時の大阪に漂った、風情ある描写に引き寄せられて繁華街・道頓堀へ。ここで巡り合った“大阪のおっちゃん”が伝えてくれたのは、かき船浮かぶ華やいだ道頓堀川の歴史文化の色濃い記憶だった。
ものがたり
川岸に船をつなぎおき、カキづくしの料理を提供する「かき船」。カキの産地である広島と大阪を中心に江戸中期から明治にかけて盛んだった文化である。とくに道頓堀川でのかき船は観光名所になるほどで、そのきっかけとなったのが、宝永5年(1708)に大阪の船場でおきた大火事。広島から来ていたかき船の船員が救助に貢献したことで、大阪のどこでも商いをしてもよいと許しを得たのだという。かき船の流行は人助けが発端だった、というわけだ。
文献を調べてみると、かき飯、土手焼き、なます、ごま油炒め、吸い物…と、品書きを眺めているだけで口角が上がってしまう。これは地産地消の最たるもの。旬の訪れを待ち侘びる人がどれほどいたことだろう。
岡部伊都子著『伊都子の食卓』に収録されている「かきの冬」を読んでみると、道頓堀川の水が澄んでいた子どもの頃には、まだかき船がちらほらと停留していたようだ。はっきり明言はしていないが、著者の齢を考えると1920年から30年代ごろのことか。カキのことを「なんやしらん寒い、水っぽい食べ物」だと思いながらも、しおらしく口に運んでいたのは、おいしいものに目のないおばあちゃまがカキ好きだったからである。
そんな過日を回想しながら書きつづる「かきの冬」。この時、すでに歳は四十を過ぎており「若い口に味わうには、あまりにもホロにがい風味」であったカキを「天下の美味」と言い添えるほどになっている。カキを炊き込んだご飯に海苔とすまし汁をかけていただくときに「かきごはんは結構でんな」とつぶやいていた、かつての祖母のことを思い出す。芝居を観たあとに、迷わずカキ船への石段を降りていったその背中を。そしてそんな亡き祖母を慈しむように、カキフライやカキのポタージュをこしらえる。
随筆家・岡部伊都子は、日々の暮らしや美味しいもの、四季の移ろいをしたためる一方で、沖縄問題やハンセン病といった差別問題にも目を向けた人。しゃきりと背筋を正されるような、それでいてリズミカルで小気味よい文章がいい。春は白魚、夏はそうめん、秋は菜飯、冬は湯豆腐。餡パン、甘栗、水飴、きんつば。そんな文々を歌うように読んでほしい。
文:峰 典子
写真:高村瑞穂
ものがたり情報
『伊都子の食卓』(藤原書店)
出版年:2006年