海のレシピ project

Kannonji

いりこの島・伊吹が紡ぐ物語

[香川県 観音寺市]

2023.02.17 UP

出汁のきいたうどんやお味噌汁に利用され、料理人にも長く愛されるぴかぴかの「いりこ」を求めて観音寺市、そして海を渡り伊吹島へ。 手間を惜しまずカタクチイワシの加工業を続ける老舗・いりこのやまくにの挑戦と、そのいりこの旨味を活かして作る一汁一菜を紹介する。さらに、“いりこの島”伊吹島に新たな人の流れを作ったアーティスト・栗林隆に《伊吹の樹》への想いを尋ねた。

ものがたり

もう一度生まれなおす。「出部屋」を象徴する《伊吹の樹》

現代美術家・栗林隆さんインタビュー

香川県観音寺市の伊吹島の高台には、出産する前後1か月、母親が集団生活をして体を休めるための「出部屋」(でべや)と呼ばれる産院があった。産後の母親が家事などの労働から解放されてゆっくりと過ごし、養生ができる場所だったという。不便でも、友達と助け合って暮らす生活は楽しく、誇りに思う人たちが多かったそうだ。「出部屋」は室町時代から存在していたと言われ、昭和45年まで約400年続いた。昭和58年に解体され、今は跡地だけが残っている。

その「出部屋」があった場所に、現代美術家・栗林隆さんの作品「伊吹の樹」はある。2019年の瀬戸内国際芸術祭に招聘され、秋会期から公開された作品だ。四国産材の板を何千枚も組みあげ、木の中の空間にはぐるりと約2,500枚もの鏡が組み合わさり張めぐらされている。

鏡に映るのは、伊吹島の空や港の風景、揺れる海面など外の世界の様子だ。天気や風などその時の自然の状況に呼応し、万華鏡のように見え方が変わる。作品の中に入ると空間に没入し、まるで自分が‟産道“を通り抜けて生れ落ち、初めて世界を見ているような感覚にもなる。

「この作品は、立ち止まって今の自分を見つめなおすための生命の樹なんです。みんな、過去や未来ばかり考えがちでしょう。将来何になるの? 夢は? って。未来から見ているから不安があったり、自分に自信が無かったりする。だけど、たいてい未来というのは今の連続だから、今を楽しむことが大事なんです。自分をもう一度見つめなおせば、いくらでも生まれ変われる。どうすればいいかわからないという不安があったり、もう一回生まれ変わりたいと思うなら、出部屋にある『伊吹の樹』で生まれ変わる。または目的もなく訪れたら、たまたま出会う。その人が必要な時に現れる、そんな作品になればいいなと思って作ったんです」

作品は2019年の夏に、約1か月かけてアシスタントたちと一緒に合宿しながら、ひとつひとつ手作業で作り上げた。制作する上でとてもお世話になったのが、伊吹島に住む芸術祭の協力者、三好兼光さんだ。三好さんはこの「出部屋」で過ごした子どものひとりだという。

《伊吹の樹》と伊吹島について案内してくださる三好兼光さん(写真:編集部)

栗林さんが作品を制作する場所は伊吹島のほかにも選べたが、母方のルーツが観音寺市にあり、視察に訪れた際にたまたま母親から電話があるなどの出来事もあって、直感でこの伊吹島で作品を作ろうと決めた。母親と場所のつながりからこの「出部屋」で作品を作ろうと考えたが、当初はここで作品を作ることを三好さんに反対されていたという。

「『出部屋』は兼光さんにとって大切な場所だから、『出部屋』を知ってもらいたいけどやっぱり使ってほしくないという気持ちもあって。僕が『出部屋』のことを言おうとすると、違う場所に連れて行こうとするんです(笑)。『お前は本当にいいものを作るんじゃろな、変なものを作ったら撤去するぞ』と。僕は自分の作るものに自信があるから、『兼光さん、大丈夫ですから。いいものを作りますから』と、お互い言い続けていました。作り始めてからはすごく協力してくれて、この作品は兼光さんがいなければ作れませんでしたね」

台風が来ても飛んでいったり倒れたりしないようなものをという芸術祭側から求められた安全性と、ここは神聖な場所だからなるべく基礎を打たず、傷つけないようにしてほしいという三好さんとの間に挟まれながら、瀬戸内の灼熱の日差しと格闘し、「伊吹の樹」は完成した。出来上がった作品を見た三好さんやアシスタントたちの反応はどうだったのだろう。

「僕と同じようにワクワクドキドキ、『すごいものができた!』と感じてくれていたのはもちろん、『来てくれたお客さんはどう思うんだろう?』と、自分の作品のように反応してくれていました。兼光さんなんて、僕にまで聞いてくるんですよ。『この作品どう思う?』って(笑)。そういうのは、すごく楽しいですよね」

「伊吹の樹」が伊吹島に完成してから、今年で4年が経つ。三好さんは今も日々訪れては、鏡を磨いて手入れをしてくれているという。完成当初と比べると真新しかった木の色は日差しや雨風を浴びて色が黒く濃くなり、たくましくなった。

「風化したり壊れていくことも作品の一部だと思っているんです。鏡だって本当はバリバリに割れてしまってもいい。崩れて、危ないから人が入れなくなっても、それでもきれいだなって思っちゃうんですよ。永遠に変わらない作品というのは違和感があって、変化し続けるというのは大事なことだと思っているんです。僕は新しいものを追求しない。どちらかというと永遠なものでありたい。最先端のものはどんどん古くなってしまう。できるだけ、古くなればなるほど、新鮮だったり味わい深くなるようなものがいいと思っています。自分の作品が100年後に同じ状態で保っていることよりも、埋もれて森になり、あるとき人があの万華鏡を発見して驚愕する。あの木から植物が芽生えて囲まれて、出部屋が一つの森になる。そんなイメージで作っているんです」

「伊吹の樹」ができたことで、この作品を見たいと伊吹島を訪れる人も増えた。それによって作品だけではなく、伊吹島のことを好きになってくれたり、島が知られるきっかけになったのがすごく嬉しいと栗林さんは話す。「伊吹の樹」は今もかつて「出部屋」があった島の高台から海を見下ろし、島と共に育ち続け、訪れる人を待っている。

文:安藤菜穂子
写真提供:栗林 隆

(参照)
香川大学看護学雑誌「伊吹島の出部屋で別火生活を送った女性の思い」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/njku/22/1/22_11/_html/-char/ja

お話を伺ったひと

栗林 隆
1968年長崎県出身。武蔵野美術大学卒業後、2002 年にドイツ・クンストアカデミーデュッセルドルフでマイスターシューラーを取得。シンガポール・ビエンナーレ(2006)、ネイチャー・センス展(2010/森美術館) 、SEISON ENFANCE(2018/Palais de Tokyo,フランス)など数々の国際展に参加。2020 年、福島の原子力発電所の原子炉を模したサウナのシステムを持つインスタレーション型作品《元気炉》(初号基)を発表。その後ドイツ・カッセルで 5 年に一度開催される国際美術展『documenta fifteen』(2022)に日本から唯一招聘され、CINEMA CARAVAN と共同し《元気炉》(4号基)を発表するなど国内外で活動を続けるアーティスト。
https://www.takashikuribayashi.com

インフォメーション

Mountain range
(2022/東京ミッドタウン八重洲)
日本のさまざまな土地の土で構成された、グラデーションが美しい彫刻作品。設置された八重洲の地下30メートルから掘り出された土も使用され、山脈に見立てながら土地の記憶が表現されている。