海のレシピ project

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都へ運ぶ陸の道、鯖街道

[福井県 小浜市]

2022.01.17 UP

福井県若狭と京都を結ぶ諸街道は、古くから主に海産物を京都へ運ぶための物流ルートで、中でも特に鯖が多かったことから、近年になって鯖街道と呼ばれるようになった。「京は遠ても十八里」といわれるように、若狭と京都は遠いようで近い。街道は文化交流の道でもあった。劇作家つかこうへいによる未完の戯曲にも描かれた鯖街道の歴史を探る。

トピックス

山を越えて届く海の幸

御食国若狭おばま食文化館 中川和也さん

小浜市を中心とした若狭地方では、日本海を隔て、古くから対岸諸国との交易が行われていた。江戸時代になると、小浜は北前船の寄港地として海路による国内交易も盛んだった一方で、陸路では若狭湾で水揚げされる海産物を人力で都に届け、京の食文化を支えてきた。
小浜と京都を結ぶ街道や峠道は、鯖街道と呼ばれている。御食国若狭おばま食文化館の中川和也さんに鯖街道にまつわる話を聞いた。

「小浜は湊町で、昔から魚がたくさんとれており、古代から御食国(みけつくに)とよばれ、 主に塩や海産物を朝廷に献上していました。」

平城京など都の遺跡からは若狭から送られた海産物や塩の木簡が出土しており、そのことからこの地域が御食国であったことが証明される。

「海の道、北前船の寄港地として北海道との間に海路があり、北海道から小浜にニシンや昆布が運ばれ、小浜から北海道へは寒さに強い若狭瓦が運ばれていました。
また、陸の道として、京都に海産物を届けていた陸路があり、これを鯖街道とよんでいるのです。」


鯖街道と呼ばれる小浜と京都をつなぐ街道には代表的な3つのルートがある。
最短距離とされる[針畑越え]ルートは標高800メートル級の険しい峠(針畑峠、オグロ坂峠、花背峠)を越えていかなければならない。そして、[東の鯖街道]とよばれる琵琶湖側を通るルートの若狭街道。これは小浜から熊川宿、朽木村を通り大原から京都へ入る。もうひとつは、[西の鯖街道]で、小浜から堀越峠をとおり、高雄につながる周山街道だ。

街道の距離は約80キロ。物資は、背負いや馬で運んでいたそうで、街道沿いには道標や地蔵、古刹があり、集落に伝わる神事などからも、奈良・京都とのつながりがうかがえるようだ。

「鯖は魚の中でも傷みやすいため、塩をして一昼夜かけて運び、京都に着いたころにはちょうどいい塩加減になって、喜ばれたと聞いています。ただ、一人で街道を運びきるということではなく、おそらく何人かのチームで出発し、要所要所で次の人に交代するリレー方式で行っていたのではないかと言われています」

運ばれた物資の中でも特に鯖が多かったため、鯖街道と呼ばれているが、ほかにも多くの海産物が運ばれていた。

「地元ではグジと呼ばれるアカアマダイやヤナギムシカレイ(若狭がれい)、北前船で北海道から運ばれた昆布なども小浜で加工して京都へ運んでいました。小浜の海産物は、『若狭もの』とよばれ、京都では珍重されています。若狭がれいは、塩をして天日干しされます。今も毎年12月には、竹かごに入れて皇室に献上されています。」

漁に出られない冬の間は保存食として発酵食品がつくられた。鯖のへしこ、なれずしだ。

「へしこは塩漬けしたものをぬか漬けしているので、かなり塩辛いですが、なれずしは、へしこをいったん塩抜きして、米と麹につけ直し、もう一度発酵し直すので甘みがあるんです。そのまま食べられますが、焼いてもおいしく食べられます。」

小浜には先人の知恵が今も息づいている。

インフォメーション

御食国若狭おばま食文化館
全国各地の雑煮や伝統行事と食をテーマにした展示のほか、キッチンスタジオで開催している「季節の調理体験」は人気のプログラム。また、工芸体験教室では、若狭塗り箸をつくり、持ち帰ることができる。

御食国若狭おばま食文化館
http://www1.city.obama.fukui.jp/obm/mermaid/index.php

画像協力:御食国若狭おばま食文化館